国籍選択件
第二次世界大戦後の各国の国籍選択件
日本の帰化制度は1952年に始まりました。旧植民地出身の韓国人や中国人は当時は日本国民としてみなされていたが、1952年のサンフランシスコ講和条約によって法的には一方的に「外国人」ということになってしまいます。これは法務省民事局長通達によって決められました。
国籍の選択権を全く与えず、一方的に日本国籍を奪ったことは、国際的に見たらかなり問題があったといってもいいでしょう。
ちなみに西欧列強国の第二次世界大戦後の旧植民地出身者の国籍の処遇は自由選択権が与えられています。
国によって異なりますが、当時イギリスの場合は二重国籍が認められていましたし、ドイツ国内に住んでいたオーストリア人は、本人の意志表示によりドイツ国籍を持てる権利をもつ国籍選択件が与えられていました。
こう考えてみるとヨーロッパは国籍選択件を与えたのに対し、日本は一歩的に国籍を奪ったという印象を受けると思います。
しかし当時の日本の状況もあわせて考えてみますと、戦争に負けて、アメリカの指導のもと日本国憲法を制定しました。その後当時の首相である吉田茂や参謀役であった白洲次郎の奮闘により、サンフランシスコ講和条約の調印までこぎつけました。
そんな状況で果たして在日外国人のかたの処遇についてどれだけ考えることができたのでしょうか?自分の国民を守るのに精一杯だったのではないかとも思いますし、国籍を剥奪するという手段もやむおえなかったのではないかとも思います。